創業者メッセージ

品格経営へ。

私たち川崎技研は、一般廃棄物処理プラントの開発を手がけるメーカーです。健康な循環型の社会を構築し、維持する仕組みを練り上げ、洗練させて、次世代に遺す努力。その確かな一翼を担う処理システムを世に出すために、技術を磨き、知恵を絞り、誠意を尽くす。そんな私たちの日々に、迷いや躊躇が入り込む余地はありません。環境ビジネスの根幹を支える、当社の事業。その進路を示す羅針盤は、常に未来を指しています。
 
1978年に社員4名で設立して以来、私たちは常に10年スパンの未来を視野に入れ、地道な努力を重ねてきました。最初の10年は、本社社屋の建設をメドに。次の10年は、8時間バッチ炉で日本一という目標を見据え、しっかりと達成。そして直近の10年は、ダイオキシン問題に端を発する業界再編の中、次世代型処理システム「CEAS」で存在感を示すことができました。
 
「世の中に必要とされる人間になれ」。これは母が折に触れて私を諭した言葉です。この言葉を私は、今日に至るまで一日たりとも忘れたことはありません。私たちが今、多少なりとも社会に求められる存在になっているとすれば、常に本質を見失うことなく、揺るぎない未来志向の事業姿勢を貫いているからにほかならないでしょう。真摯な品格経営で、未来を引き寄せる企業――私たちが常に追求してやまない企業像です。

大手を本気にさせた軍団。

およそごみ処理プラントは、綿密な燃焼計算に則って設計されています。しかし現実には、水分が多い時もあれば、難燃性の固形物が大量に混じる日もあります。机上の計算どおりにはいかないのが廃棄物であり、所期の目的に対して70%もクリアすれば上出来。間尺に合わない話ですが、当社が事業を興した昭和50年代には、それが常識だったのです。
 
設立まもない頃の当社は、そんな悪しき常識を疑い、燃やすべき廃棄物を100%処理できるプラントの開発に心血を注ぎました。確かな成果が評判と新たなオファーを呼び、施工実績は九州一円と沖縄に拡大。真偽のほどはわかりませんが、当時は大手メーカーさんのあいだで「九州ではいい加減な仕事はできないぞ」といわれていたそうです。やがて、大手があまり手がけない8時間運転の機械化バッチ炉の分野で全国トップシェアを獲得。その頃には業績は150億円を突破し、社員数も100名をゆうに超えていました。
 
思えば、業界の常識を疑い、徒手空拳で起業。そんな私の思いに共鳴し、手弁当の覚悟で駆けつけてくれた創業時の仲間にも恩返しができた。優秀な技術者も育った。さあ今後はさらなる飛躍をと、おおらかに夢を広げていた矢先のことでした。好事魔多し。1997年のダイオキシン問題を境に、未曾有の業界再編が始まったのです。

ピンチをチャンスに変える資格。

世界史で言えば産業革命に匹敵するほどの歴史的な変化といっても過言ではないでしょう。ダイオキシン問題が社会を揺るがした1997年を境に、8時間炉と16時間連続運転の准連炉が原則廃止され、24時間運転の全連炉に統一。並行して、廃棄物処理事業所の統合による広域化が国策として強力に推進されました。ちなみに97年以前は全国に1800ヶ所あった事業所は、現在約1000ヶ所にまで減少。いずれは700ヶ所前後に集約される見込みです。
 
8時間炉で基盤を築いた当社にとっては、まさに死活問題。しかも97年当時、全連炉といえば大手の独壇場で、当社が分け入る余地はまったく残されていませんでした。常識的には、会社をたたむ選択肢もありました。が、多くの社員を路頭に迷わす決断など、もとより念頭にありません。では、どうすればいいか。きたるべき環境世紀にふさわしい、従来の概念を大きく超える新しい24時間プラントを創るしかない――
 
この不可能とも思える挑戦に、当社は持てる総力を結集。そして、ついに実現したのです。それがCEAS(酸素式熱分解直接溶融システム)。ダイオキシンをはじめとする有害物質を大幅に削減するのはもちろんのこと、焼却灰を資源に変え、熱回収による発電をも実現する、画期的な次世代処理システムです。CEASを世に送り出したのは、ちょうど西暦2000年の節目。新しい世紀に、新たな歴史を刻む出発点。川崎技研の新しい挑戦は、このとき始まりました。

次の10年を担う人たちへ。

現在の当社を代表する製品は、「CEAS」と、CEASの特徴である酸素式灰溶融炉を従来型のストーカ式焼却炉に直結した「ストーカ直結溶融システム」。この二つを軸に、平成18年度の新規焼却炉における受注実績は、大手に伍して国内5位の数字を残しています。けれども、受注実績はあくまで結果であり、私たちが日々情熱を注ぐ目標ではありません。
 
2004年10月の新潟県中越地震は、廃棄物処理施設にも甚大な被害をもたらしました。そのひとつ、震源地に近いとある事業所に向けて、当社はすぐさま技術陣を派遣。交通網が寸断された中、地震の翌日には現地に入り、翌々日には運転を再開することができました。
 
廃棄物処理プラント建設の大半は公共事業です。今後、民間活力の導入が進むとしても、市民生活を根底から支える公益事業であることには変わりありません。当社が技術の対価として得る売り上げは、すべて公金であるという事実を決して忘れてはならない。私たちはいつでも、自らにそう言い聞かせています。もちろん、適正な利益は頂戴します。社員が安心して働ける処遇の確保にも注力していますし、技術者個々のレベルアップにも予算と人材を惜しまず投入しています。しかし視線は常に外に、つまり循環型社会の実現に向いています。今後、当社の事業がどう変わるか、広がるかは、これからの当社を担う世代が決めることですが、「公の使命を帯び、公を意識して成果を競う」という鉄則だけは、この先もずっと、揺らぐことはありません。
 
創業者  田中 基壹